昭和五十四年十一月二十二日 朝の御理解

 御理解第六十九節 「信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ。」


 信心をするというけれども、段々信心がわかってきたら、信心をさせて頂いておるんだなあ、という事がわかります。それが実感としてね、させて頂きよります。信心をさせて頂きよりますというけれどもね。本当にさせて頂きよるという気になったら、確かに神様がさせて下さる。神様がさせて下さる事になると信心はみやすいもの、楽しう有難う、ね。
 それこそ合楽のキャッチフレーズじゃないですけれども、嬉しう楽しう、しかも愉快に迄なってくる、とこう言うのです。自分がするというところには、やっぱりダレが来ます。ね。気張って頑張ってとかいうけれども、それは成程人力に見切りをつけて神力にすがれ人力自ら湧く、というような人力であったら、もっと素晴らしい、ね。人力に見切りをつけて神力にすがる。そこから湧いてくる人力です、ね。
 そこまで行った時に大体信心はみやすうなるものでしょうけども、やはり信心がしております、致しております、という間はなかなかやはり難しいもんだ、という事です。実感してさせて頂く、という事になってくる。
 昨日は福岡の篠崎さんというお祖母さんが一人暮らしをしておられます。病院の付き添いのような事をしながら、人に、ま、小金の一つも貸すだけの、ま、余裕のある、ま、生活をしておられます。まあ熱心というわけじゃないけれども、まあ何と言うでしょうかね。ま、可愛らしい信心をなさいます。
 昨日私初めて聞かせて頂いたんですけども、大体富永という家で篠崎の家に嫁入って来られて、富永の家はもうなくなっておる。まあ絶えておるわけですね。それで丁度今年がお母さんが亡くなられて五十年になる。それでそのお寺さんでお願いするよりも合楽でお願いさせて頂こうという軽い気持であった。
 それで御酒御饌鏡餅位でして頂けるだろうか、というて、ま、事務所で相談があったそうです。それでそれは、それこそイリコ一つまみ塩一つまみでも、それこそお水をお神酒がわりお供えしても親先生は出来る、と言いなさるから、それは出来ますよ、と。けども五十年と言ゃあ大変な大きな節の時の霊祭だから、と、ま、いよいよ霊様のことを、まあ大事なことを聞かせて頂いとるうちに、もう丁度一と月前からお願いしてございましたが、段々その思いがこうエスカレートしていったんです。
 ほんなこつそげん言ゃあもう、それこそ永年仏教ででも法事一つしとらない。親のその霊様をお祭りして頂くというのですから、ね。段々段々その、これは自分の最後には、もう自分の出来る限りのお祭りをさしてもらおうという事になってきたわけです。もう例えばお供えでも五万円も預ける。裏の勝手の方の御直会の方にも五万円お金を預けるという。
 も、いくらかかってもよい、というようなお祭りでした。ただ御自分一人の、遺族というのは一人なんです、ね。それでもやっぱり、だからもう実に御直会まで盛大な事でございましたが、段々段々こう神様が思わせて下さりよる、させて下さりよる。そしてなら、そのお祭りを頂き終わった時に、それこそ玉串あげながら、もうそれこそ感涙されました、ね。
 開扉の時に初めて私はあんな実感をした。開扉をされる時に、真暗であったのが、パーッと光が中に射すようなおかげを頂いた、というて感動しておられました。ね。それは勿論親だから子だから出来る事ですけれども、段々わかってくればくる程に思えば思う程に、折角させてもらうなら御酒御饌餅で、それも一時から四時の御祈念に併せて簡単にしてもらうつもりであったのが、段々本当に、ま、五十年間も、御自分が三つ位の時だから、お母さんを知っておられないんですね。
 だから、けれどもやはりその永年、ま、放任したままのような霊様ですから、その思いがだんだん募ってきた。そして、ま、いうならばお金はいくらかかってもよかですけん、というようなお祭りになったんですから。私は、そういう事情は全然知りませんでした。事務所と篠崎さんとの間の事ですから。
 で昨日、私その御神前で、そのお届けをさして頂きよりましたら、私が先日テレビで、あの中村歌右衛門という女形がおりますね。あの人の四谷怪談を見ました。そりゃもう、この人の独壇場と言われる位に素晴らしいんです。その四谷怪談の髪梳きの場というのがあるんです。
 髪をときながら鏡の前でね。そしてその髪をとき流してては後にやり、それを何回も繰り返していく、その髪をこう払ったその、ところでその都度都度に、その顔がものすごく変わっていく。そしてその黒髪の長い髪だったのが段々取れていく、いうなら髪が抜けていくわけです。まあどういうふうな演出をしてあるのか知らんが、そりゃ本当に凄まじい、本当に歌右衛門じゃなからにゃ出来まい、というようなお芝居で、私は初めて見ました。
 中村歌右衛門の四谷怪談、その髪梳きの場という有名な場の、その髪をすいていくうちに段々髪が少なくなっていく。段々頭が禿げていく。その髪を、こ、上へやるたんびんに様相が凄まじい、いうなら幽霊のような顔になっていくわけです。そげんところもなかなか素晴らしい映画でしたが、中村歌右衛門という人は皆さんも御承知でしょうが、この頃新聞にも載っておりましたが、お道の新聞にも、この頃文化勲章を受けました。同時に金光様の御信者である、ということ。
 だから中村歌右衛門が使われたというような感じがしましたけれども、その私が昨日頂きます「髪梳きの場」というのは、もうそれこそ、うすーい髪なんです。そしてその人相という中村歌右衛門演ずるところのお岩なんですけれども、それがね、もう兎に角無念とか残念とか腹立たしいとか何か、そういう複雑な顔しとるところでした。
 そしてその髪梳きの場がすくたんびにですね。顔色が段々段々素晴らしくなっていくという、もう四回か五回目位には、もうそれこそ有難涙を零しておるような表情になって、その薄い髪が段々段々すくたんびんに濃くなっていくというお知らせでした、ね。篠崎さんの心の中に、いうならば折角するならば、も少し、もう昨日はそれだけの事がしてあるのに、また昨日見えた時には、親先生がお肉がお好きだそうですから、と言うて、もう沢山の用意はしてあるのにも関わらず、また沢山のお肉を持ってくる。
 も、やが上に、もういうならば、ね。これでも足らん足らんといったような思いで、そのよいお祭りになったわけです。そういう思いが、私は募るたんびんにです、その髪梳きの場で、いうなら薄い髪が、それこそ腹立たしい恨めしいような顔が段々段々、その都度都度にほこらんでいく和らいでいく喜びの表情になる。そして最後には有難涙を零さんばかりの表情になっていかれた霊様の、その事をです、なら昨日、お祭りがすんで話した事でしたけれども、五十年間も放ってあった霊。
 それこそ、ね。それこそ無念であり残念であり霊としての、いうなら苦しい生活をして来られた事であろう。それをたまたま三つの時に別れた、その娘が、だからどういう事になりましょうかね。五十三になられるわけでしょうか。五十年ぶりに初めて、しかも、ね。合楽というところにおかげを頂いた、ね。
 私は昨日、合楽という事がどんなに素晴らしいか、という事を昨日、どんなにいうならば、魚釣る人見ておる人という、あの御理解じゃないですけれども、いかに身ごしらえして、魚釣りの準備をしてもです。あゝ今日も一匹も釣れなかった、と言われるような人の姿を私見せて頂いて、ね。結局、ね。大きな魚を釣りたいと思うなら深い所を、ね。それ浅い狭い所で釣っておったんでは、だから釣り場を選ばなきゃいけない、という事です。
 昨日矢野先生に電話がかかってきた。ある教会に熱心にお参りして、家を挙げて改式まで頂いてるわけ。最近はやっぱりいろいろ、それこそ魚が一つも釣れんわけ。それでたまたま合楽におかげ頂いて段々おかげを頂いておられるという家族がございます。前におかげ頂いとった教会の御大祭にお参りをさせて頂いたら、私が合楽に参っている事を御承知であった。
 若奥様も、あんたがそれだけ合楽合楽という事になっとるじゃから、もう合楽に変わってしまわれたら、どうですか、と。親先生もその事をお届けさして頂いたら、自分の帰依する教会におかげ頂いかなければおかげ頂かれん、と言われた。だから改式はしとるけども、霊様も合楽に移していいよと、しかも大変優しう言うて下さった。ね。
 そこで私の心の中に、それを聞かせて頂きよってですね。そりゃ、も、直ぐにでも私はそれを言うてやりたかったんですけども。それほどに思いを開いておられる先生のところならば、もうわざわざ遠い合楽まで参ってこんでもおかげ頂きますよ、と、もう喉まで出たんです。言おうと思うて、ね。そしたらね、神様が「釣り場」という事を頂いたんです。
 昨日の御理解なんです。やはりこの人は釣り場を変えなければ、もうおかげは頂けん、と言うのです。ね。そういう意味で、なら昨日の御理解の事を思うて、今日の御理解を頂いて下さるとです。その霊様が合楽で初めて助かる事が出来る。
 昨日初めて若先生が祝詞奏上しとるのを聞かせて頂きましたが、これからは合楽理念に基づいて、この霊が助かっていく事を言うておりましたが、ね。朝晩合楽の霊舎で合楽理念を勉強さしてもろうて、霊もいよいよ助かりの一途を辿っていく事であろう、というように合楽に御縁を頂いた、という事が、もうそれこそもういうなら、このまま四谷怪談じゃないけれども、ね。
 怨念の霊としてしまえていかなければならない迷うた霊にならなければならない、も、間一髪、五十年という記念の式年に娘が心が段々開けてきて、しかもエスカレートするように兎に角、親の霊の、もう私一人しかおらん。私が仕えるのだから、これはお金はいくらかかったっちゃよか、というようなお祭りになってきた。その一段一段思うたんびんに、その一ヶ月前から思うたんびんに、心がおかげを頂いてきた、という事が言えますね。
 そして霊様の前に移らして頂きましたが、あの不断草を奇麗に洗いあげられたのが、こ、沢山頂きました。そしてそれを一本一本が玉串のようにして奉っておるところを頂かれた。だからこれから、ま、いうならば毎月、月の二十一日を、ね、帰幽月として玉串ぐらい毎月あげさして頂いたらいいね。もう月に一遍は、もう是が非でもお参りせんならん。
 そして霊様に玉串でも毎月お供えをさしてもらうように、という次の信心の、また神様がさせようとなさる。もうこの事は必ず続けます、と言うて、いうなら信心を神様がさして下さる。もう兎に角信心が有難うして楽しうてみやすいものです。ね。だから、そういう情念が篠崎さんのお母さんの霊様と篠崎さんの上に通うたように、私共の信心が天地の親神様との交流であるのですから、んなら皆さんここで言うならば、親先生とでもいいでしょう、ね。
 もう兎に角一日でも欠いだら、どんこん淋しうてこたえん、というようなね。いうなら情念をもって、しかも神様の前に、ね。惜しい欲しいは言わん、という位な信心が出来た時に、あなたの信心はみやすうなる、という事です。そういうみやすい信心からです。いわば神様がみやすうおかげを下さる、という事になるのじゃないでしょうか、ね。
 信心はしておる、という間はきつい、させて頂く、という事になると神様がさせなさる。そう思わして下さる、そう行なわして下さる、ね。信心がみやすいというおかげを頂く為に、ま、今日は篠崎さんの昨日の霊様のお祭りを仕えられる、ま、為の心の、いうならば進み、というものがです。一ヶ月の間に、こ、段々変わって行かれた。
 そして霊様との交流が、そのまま神様との交流ともなり、これからの信心にも、また一新していかれるような感じである。それこそ親の霊祭りをひと月の間、ね。もうそれこそ心に描き続けて、あっ、こげんもしょう、あげんもしょうと言う思いが募ってくる、ね。そしてならそれこそ、ま、霊様の前で、それこそ感涙して感動しておられましたが、ね。
 も、それこそ有難うして楽しうして、という事になり神様がさして下さる。それに私共が便乗する、いわゆる信心のリズムである。リズムが頂けてくるようになる、感じてくるようになる時にリズムに乗っての信心生活。あっ楽しかろ、本当に有難かろう、しかも信心がみやすうなる。いうならば、おかげもまた容易う下さるような働きを私は確信する、ね。どうでもひとつ信心が好きにならないけませんですね。どうぞ。